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仙台高等裁判所 平成7年(ネ)207号 判決 1997年1月30日

控訴人

野村孝彦

右訴訟代理人弁護士

石田恒久

吉沢寛

被控訴人

和田喜八郎

右訴訟代理人弁護士

五戸雅彰

被控訴人

武田崇元こと

武田洋一

主文

一  原判決中控訴人の被控訴人和田喜八郎に対する次項に係る請求を棄却した部分を取消す。

二  被控訴人和田喜八郎は控訴人に対し、原審認容額のほか金二〇万円及びこれに対する平成四年一一月七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  控訴人の被控訴人和田喜八郎に対するその余の控訴及び被控訴人武田洋一に対する控訴を棄却する。

四  控訴人の被控訴人武田洋一に対する当審における新たな請求を棄却する。

五  訴訟費用は、控訴人と被控訴人和田喜八郎との間では第一、二審を通じこれを四分し、その三を控訴人の、その一を被控訴人和田喜八郎の負担とし、控訴人と被控訴人武田洋一との間では、控訴費用は控訴人の負担とする。

六  この判決は、第二項に限り仮に執行することができる。

事実

第一  申立

控訴人は、原判決中被控訴人和田に関する部分については、次の1、2、5ないし7のとおり変更する旨の判決並びに被控訴人武田に関する部分については、この取消及び次の3ないし6のとおりの判決を求め(なお、3は当審における新たな請求であり、2及び4は、原判決「事実及び理由、第一 請求」の二項及び三項のそれぞれの請求が当審で変更されたものである)、被控訴人らは控訴棄却及び当審における控訴人の新たな請求及び変更された請求につき請求棄却並びに控訴費用控訴人負担の判決を求めた。

1  被控訴人和田は控訴人に対し金五〇〇万円及びこれに対する平成四年一一月七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被控訴人和田は控訴人に対し、原判決別紙(一)記載の謝罪広告を同別紙(二)の方法で株式会社図書新聞発行の図書新聞に一回掲載せよ。

3  被控訴人武田は控訴人に対し、金六〇万円及びこれに対する平成八年一月二三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

4  被控訴人武田は控訴人に対し、原判決別紙(三)の訂正広告を同別紙(二)の方法で社団法人日本図書館協会発行の図書雑誌及び全国学校図書館協議会発行の学校図書館に一回掲載せよ。

5  被控訴人和田及び被控訴人武田は、原判決別紙(四)書籍目録記載2の書籍中の削除箇所指摘部分を削除せよ。

6  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

7  被控訴人和田に対する金銭請求部分につき仮執行宣言

第二  主張

一  請求原因

1  本件石垣の写真について

(一) 控訴人は、会社員として勤務する傍ら日本古代史に興味を持ち、余暇を利用して研究を重ねてきたものであるが、昭和四九年ころから紀伊半島の熊野地方等に所在する猪垣(ししがき)と呼ばれる石垣(以下「本件石垣」という)の実地調査を行い、同年から昭和五〇年にかけて、本件石垣の状況を学問的に写真影像にして保存する目的で、原判決別紙写真①から⑥までの写真(以下「本件写真」といい、個々の写真をいうときには「本件写真①」などという)を撮影した。これらの撮影年次と対象所在地は以下のとおりであり、控訴人は被写体の選択、構図及びカメラの方向や角度の決定に創意を生かし工夫を凝らしているので、これらが著作権法上の写真著作物(同法一〇条一項八号)に該当するのは明らかである。

①  昭和五〇年撮影の奈良県生駒市小倉寺所在の猪垣

②  昭和四九年撮影の和歌山県東牟婁郡那智勝浦町高津気所在の猪垣

③⑤ 昭和四九年撮影の和歌山県東牟婁郡那智勝浦町狗子川所在の猪垣

④  昭和四九年撮影の和歌山県新宮市三輪崎所在の猪垣

⑥  昭和四九年撮影の和歌山県東牟婁郡那智勝浦町高津気所在の人面石

(二) 被控訴人らは、本件写真を次の各書籍に掲載した。

(1) 原判決別紙(四)書籍目録記載1の書籍には、原判決別紙(六)のとおり本件写真六葉が掲載され、青森県津軽中山に存在した耶馬台城跡を示す写真であるとの説明文が付されている。

(2) 同目録記載2の書籍には、原判決別紙(七)のとおり本件写真①が右同様の説明文を付して掲載されている。

(3) 同目録記載3の書籍には、原判決別紙(八)のとおり、本件写真④が、右同様、耶馬台城址との説明を付して掲載されている。

(4) 株式会社学習研究社発行の「ムー」昭和六三年八月号の「謎の荒覇吐黄金王国」と題する記事には、被控訴人武田が代表取締役である八幡書店提供の写真として、本件写真③が掲載されている。

(三) 右各書籍は、控訴人の撮影した本件石垣の写真を虚偽の説明のもとに掲載しており、未だ公表されていない著作物である本件写真を無断で公表した点で公表権を、また、控訴人の氏名を表示しなかった点で氏名表示権を、写真の撮影場所を別の場所として掲載した点で同一性保持権をそれぞれ侵害しているから、著作者人格権を侵害するものであり、仮にそうでないとしても控訴人の名誉、声望を害する方法により著作物を利用しているから、著作者人格権の侵害とみなされる。また、控訴人に無断で本件写真を複製しているので、著作財産権(複製権)を侵害するものであることは明らかである。

(四) 控訴人は、その撮影にかかる本件石垣の写真(本件写真①ないし⑥以外のもの)をその研究成果とともに昭和五〇年五月一四日の日本経済新聞朝刊(全国版)に発表し(以下「本件論文」という)、また、雑誌「新評」昭和五〇年七月号でもその調査結果を発表している。被控訴人武田は、昭和五〇年代前半頃、本件石垣についての話を聞くためとして控訴人を自宅に訪ねて本件写真を示しての説明を受けており、また、被控訴人和田は昭和五一年初め頃、控訴人に依頼して本件写真等の送付を受けている。したがって、被控訴人らは、本件写真が控訴人撮影の本件石垣の写真であることを十分知りながら、故意に控訴人の著作権を侵害したものである。

(五) 被控訴人らの右著作者人格権及び著作財産権侵害の態様及び内容を個別に述べると、被控訴人和田については、控訴人が善意で送付した写真を虚偽の史跡の写真であるとの説明を付して悪用し、我国の文化にも重大な損失をもたらす極めて悪質な行為であり、各権利侵害行為は同被控訴人の一連の行為であることからして、控訴人の被った精神的苦痛、すなわちその慰藉料額の分別は困難であるが、あえてこれを見積もるならば、著作財産権侵害と著作者人格権侵害に対する慰藉料としてそれぞれ一〇〇万円を下るものではない。また、被控訴人武田についても、本件書籍2と「ムー」の各掲載について、いずれも著作財産権及び著作者人格権の侵害に対する慰藉料として各一五万円の合計六〇万円を下るものではない。

(六) 控訴人は、自らが私的余暇の莫大な時間を費して得た本件写真を被控訴人和田により、同人作製の偽書である「東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)」等(後記2(二)参照)が真実の古文書であることを証明する目的で偽って使用されたため、このまま放置すると多くの人々から同被控訴人の行為に控訴人が協力しているかのような誤解を受けかねないので、著作者である控訴人の社会的な声望名誉を回復するため、本件書籍2が主要図書館に蔵書されていることなどを考慮し、同被控訴人に対し、図書館関係者を購読者とする株式会社図書新聞発行の図書新聞に原判決別紙(一)記載のとおりの謝罪広告を同別紙(二)の方法で掲載させる必要がある。

(七) また、被控訴人武田に対しても、本件書籍2が社団法人日本図書館協会及び全国学校図書館協議会の推薦図書となっていることを考慮し、社団法人日本図書館協会発行の図書館雑誌及び全国学校図書館協議会発行の学校図書館に原判決別紙(三)記載のとおりの訂正広告を同別紙(二)の方法で掲載させる必要がある。

(八) 本件書籍2の著者である被控訴人和田及びその発行者である被控訴人武田は、原判決別紙(四)書籍目録記載2の削除箇所について、削除する義務がある。なお、右削除箇所のうちの文章部分は、本件写真①に虚偽の説明を加え、右写真の掲載と一体のものとして控訴人の著作権を侵害しているものである。

仮に本件書籍2が品切れであったとしても、本件での被控訴人らの応訴の態様から見れば、再度同趣旨の書籍を発行する可能性は高いというべきである。

2  日本経済新聞掲載の論文について

(一) 控訴人は、昭和五〇年五月一四日の日本経済新聞朝刊(全国版)に本件論文を発表した。

(二) 被控訴人和田は、自分が書いた「東日流外三郡誌」第一巻ないし第六巻を、自分の家に伝わる江戸時代後期の古文書「東日流外三郡誌」、「東日流六郡誌」の写本である旨偽って、北方新社から刊行したのち、「総輯東日流六郡誌」を津軽書房から刊行したが、右「東日流外三郡誌」には、原判決別紙(九)1ないし6上段の記述が、また右「総輯東日流六郡誌」には、原判決別紙(九)7上段の記述(但し、同別紙7の上段、中段及び下段二ケ所に「神城」とあるのは、いずれも「神域」と訂正する)がある。

(三) 右記述は控訴人の著作物である本件論文を剽窃ないし盗用し、又はこれを翻案したもので、その著作物の複製権又は翻案権を侵害するものであり、このことは、原判決別紙(九)1ないし7上段の記述が、中段の本件論文の記述を、下段指摘のとおり翻案したものと認められることから、明らかである。

(四) 被控訴人和田の右記述による控訴人の本件論文の著作権侵害による慰藉料としては、著作財産権の侵害に対して二〇〇万円、著作者人格権の侵害に対して一〇〇万円の、合計三〇〇万円を下るものではない。

3  よって、控訴人は、被控訴人らに対し、控訴の趣旨に記載された金員の支払(遅延損害金の起算日は不法行為の後である被控訴人和田については本件訴状送達の、被控訴人武田については請求を追加した平成七年一〇月二三日付準備書面送達の翌日)、謝罪広告及び訂正広告の掲載及び書籍中の記載の削除を求める。

二  被控訴人和田の本案前の主張

控訴人による本件訴訟の提起は東日流外三郡誌等の文書の真贋論争を目的としたものであるから、司法審査になじまず、不適法である。

また、本件書籍2は、既に絶版となって在庫もなく、増刷計画もないから、右書籍に関する差止請求は訴の利益がない。

三  請求原因に対する認否

1  請求原因1(一)の事実は不知。但し、被控訴人武田は、控訴人が古代史に興味を持ち、研究してきたとの点は認める。

同1(二)の各書籍が刊行されたことは認めるが、掲載の写真が控訴人撮影のものであるとの点は不知。被控訴人和田は、控訴人指摘の箇所が同被控訴人の執筆にかかるものであることを否認する。本件各書籍発行の経緯は、原判決七枚目表八行目から八枚目裏五行目までのとおりである。

同1(三)は争う。本件写真はアマチュア史家が撮影したスナップ写真にすぎず、著作権法上の著作物とはいえない。

同1(四)の事実のうち、本件論文が日本経済新聞に掲載された点は不知、その余は否認する。

同1(五)ないし(八)は争う。

2  請求原因2(一)の事実は不知。

同2(二)の事実につき、被控訴人和田は認め、同武田は不知。

同2(三)の事実は否認する。控訴人が原判決別紙(九)において指摘するような事項では到底類似するといえるものではない。

第三  証拠

原審及び当審記録中の証拠目録の記載を引用する。

理由

一  被控訴人和田の本案前の抗弁について

原判決が一一枚目裏五行目から六枚目表二行目までに説示するとおりであるから、これを引用する。

二  本件写真について

1  本件各写真の著作物性

(一)  甲第一〇九号証及び原審における控訴人本人尋問の結果によれば、以下の事実が認められる。

控訴人は、会社員として勤務する傍ら、余暇を利用して日本古代史の研究を重ねているものであるが、昭和四九年頃から、神武東征伝承のふるさとである和歌山県熊野地方にある本件石垣の調査を始めた。これは地元の人達から猪垣と呼ばれているものである。控訴人は休日のほとんどを現地での調査に費し、その状況を影像の形に保存しておこうとの学問的な目的で、特に留意すべき風景を撮影した。本件写真①は、奈良県生駒市小倉寺所在の猪垣、本件写真②は、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町高津気所在の猪垣、本件写真③及び⑤は、那智勝浦町狗子川所在の猪垣、本件写真④は、和歌山県新宮市三輪崎所在の猪垣、本件写真⑥は、那智勝浦町高津気所在の人面石と呼ばれる対象物をそれぞれ撮影したものであり、撮影時期は本件写真①が昭和五〇年、その他は昭和四九年である。これらの各被写体は、いずれも深い山中にあるため、現地に赴くのも容易でなかった。控訴人は、このような場所に何度も足を運び、更に本件各写真の撮影に当り、本件石垣の状況が理解しやすいよう、周囲の草木を取除いたり、また、撮影の位置、角度等に配慮し、望遠レンズや広角レンズを利用するなどしたりするなどの工夫を重ねて撮影を行った。

(二)  右事実によれば、本件写真①ないし⑥は、控訴人が、我国古代史の研究ないし解明に役立つと考えて、被写体を選定し、その撮影方法についても工夫を凝らして、古代史学に関する資料を他にさきがけて明確にしておく目的で撮影したものであり、控訴人の著作物として保護されるべきものであることは疑いを容れないところであって、控訴人がいわゆる学者や職業的写真家ではなく、写真に関しては素人であることは右判断の妨げとなるものではない。

2  本件写真の著作権侵害

本件訴状に添付されている本件写真①ないし⑥と、甲第五号証の三ないし八、第六号証の三及び第七号証の三を対照し、また、甲第一四号証も併せ検討すると、本件書籍1である東日流中山古代中世遺跡振興会発行の「知られざる東日流日下王国」に掲載されている写真は、本件写真①ないし⑥と同一であり、本件書籍2である八幡書店発行の「知られざる東日流日下王国」に掲載されている写真は本件写真①と同一であり、また、本件書籍3である東日流中山史跡保存会発行の「五所川原市と東北古代中世史抄第二号」に掲載されている写真は本件写真④と同一であることか明らかであり、また原審における控訴人本人尋問の結果によれば、控訴人は本件写真を公表していないことが認められる。したがって、本件書籍1ないし3への本件各写真の掲載は控訴人の複製権を侵害し、さらに公表権、氏名表示権を侵害することが明らかであり、また、甲第五号証の三ないし八、第六号証の三及び第七号証の三によれば、右各写真には、いずれも津軽中山の耶馬台城跡である旨の説明が付されていることが明らかであるから、事実と異なる右説明の下に本件写真を掲載した点で同一性保持権をも侵害するというべきである。

3  被控訴人らの責任

(一)  被控訴人和田の責任

原審における控訴人本人尋問の結果によれば、控訴人は、昭和五一年ころ、被控訴人和田が古文書を所蔵していることを聞き及んでその中に石垣に関する記述はないかを尋ねる手紙を出したところ、同被控訴人からその資料を求められて本件写真①ないし⑥を送付したことが認められる。そうすると、本件各書籍に掲載されている本件写真の複製は、被控訴人和田が控訴人から送付を受けた写真を利用して、右写真の被写体が本件石垣であり、津軽中山に存在したと同被控訴人が言っている耶馬台城跡のそれではないことを知りながら、その旨の説明を付してこれを掲載したものと推認される。本件書籍1及び2には、その掲載にかかる写真は昭和三八年頃、営林署のK氏が届けてくれたスナップである旨の記述があるが、右記述は前記認定の事実に照らして虚偽というほかなく、他方、被控訴人和田は当審において、同被控訴人は本件書籍1及び2の著者とされてはいるものの、当該部分は成田不二雄の執筆にかかるもので、自分は執筆に関わっておらず、全く与り知らない旨述べるが、これを裏付ける証拠は提出されていないだけでなく、右供述自体も説得力に乏しいものであるから、到底採用することができない。

以上によれば、被控訴人和田は、本件写真が控訴人撮影の熊野地方あるいは生駒の本件石垣の写真であることを知りながら、事実に反する説明を付して本件書籍1ないし3に掲載し、控訴人の著作財産権及び著作者人格権を侵害したものであるから、控訴人の後記損害を賠償すべき責任がある。

(二)  被控訴人武田の責任

甲第八八号証の一ないし三、一六五号証、当審における被控訴人武田本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

被控訴人武田は日本古代史に関心を持っているものであるが、昭和五〇年代前半頃、控訴人の調査した本件石垣に興味を抱き、控訴人宅を訪ねて控訴人から説明を受けたのち、現地に赴いて調査するなどし、その後昭和五五年一月一〇日発行の雑誌「ムー」に武内裕の筆名で熊野地方の本件石垣を紹介する記事を発表した。

また、被控訴人武田は昭和五七年五月二六日に株式会社八幡書店を設立して以後代表取締役として経営に当っている。本件書籍2は、青森県で出版された本件書籍1を右会社が引継いで出版することになり、被控訴人和田が著した本件書籍1の内容の一部の表現を被控訴人武田が書き改めたもので、掲載されている本件写真①の複製については被控訴人和田が提供した写真がそのまま利用されている。被控訴人武田は、右写真の掲載に当り、これが本件石垣を被写体とするものであることに全く気付かなかった。

右事実によれば、被控訴人武田は本件石垣について控訴人に説明を受けたことがあり、また、自ら調査し、昭和五五年には雑誌に記事を掲載するなどしていて、本件石垣に関して相応の知識を有していたことは認められるものの、そのころから相当期間経過した後である平成元年に本件書籍2を刊行するに当り、その掲載の写真が、それ自体際立った特徴があるわけではない本件写真①であることを認識していたとまで認定することはできない。したがって、被控訴人武田が控訴人撮影の本件石垣の写真であることを知っていた旨の控訴人の主張は認め難く、これを前提とした被控訴人武田に対する損害賠償請求及び訂正広告請求は理由がない。なお、控訴人が被控訴人武田の過失による不法行為を主張しているものとは認め難いが、書籍出版の事業者が出版に当って、著者から提供された原稿中の表現や掲載写真の一つひとつについて、著作権侵害の問題を生ずることの有無を調査、確認すべき義務があるとは解されず、具体的な疑いを抱くべき特段の事情があって初めて右義務が生ずるというべきであるところ、本件において右特段の事情があるとは認め難いので、同被控訴人に過失があったと認めることもできない。

また、控訴人は、雑誌「ムー」に掲載された本件写真③は八幡書店の提供によるものである旨主張し、甲第一八四号証の一ないし五によれば、右雑誌記事中には、「写真=神代康隆/森川敦/八幡書店」との記載があるが、仮に八幡書店が右記事中の写真を提供しているとしても、これが同記事中に掲載されている相当数の写真のいずれであるかにわかに特定することは困難であり、控訴人主張の写真が八幡書店あるいは被控訴人武田の提供にかかることを推認することはできず、右掲載を理由とする損害賠償請求も理由がないというほかない。

(三)  控訴人の損害額及び謝罪広告の要否

被控訴人和田の前記の不法行為により控訴人に生じた損害額及び謝罪広告の必要性について検討する。

本件写真は、前記認定のとおり控訴人が調査に相当期間を費し相応の工夫をして撮影したものであること、また、被控訴人和田は本件写真が控訴人撮影の本件石垣等の写真であることを知りながら、所在場所も被写体も全く別の対象物であるとの虚偽の説明を付して掲載したのである。しかも、本件写真の掲載されている書籍は、被控訴人和田の家伝来の古文書であると同被控訴人が言っている「東日流外三郡誌」に関するもので、津軽中山にあったという耶馬台城の説明に本件写真は利用されたものであるところ、控訴人は同書は被控訴人和田による偽作の文書であると考えているのであり(原審における控訴人本人)、相容れない立場にあるから、本件写真を虚偽の説明材料として利用されて少なからぬ不快の念を懐いたことは明らかである。しかしながら、控訴人はいわゆるアマチュアの古代史研究家であって、その撮影にかかる写真も学問的ないし芸術上の高い評価を得ているとはいえないこと、本件写真には控訴人の氏名が表示されているわけではないので、通常の一般読者は当該写真が控訴人の撮影にかかるものであることを知る手がかりはないこと、本件書籍は発行部数も少なく(本件書籍2は三〇〇〇部で既に絶版であり、本件書籍3は一〇〇〇部限定の非売品である。甲第七号証の六、丙第二号証)、本件書籍2の図書館での所蔵の状況も、東北地方の県庁所在地の県立又は市立図書館で見ると、青森、盛岡、秋田、福島に所蔵されている程度で(但し、仙台市の宮城県立図書館は未調査)、東京都内では、公立図書館一七二館を調査したところ、九館に所蔵されている程度であること(甲第二三三号証、丙第六号証)などを始めとする諸般の事情を総合すると、被控訴人和田が本件写真を本件書籍1ないし3に掲載したことにより控訴人に生じた損害としては、著作財産権侵害に対する慰藉料として一〇万円、著作者人格権侵害に対する慰藉料として三〇万円をもって相当であると認められ、また、謝罪広告については、右金額の賠償によるほか、更に謝罪広告によって回復するのが相当であるほどの控訴人の名誉、声望が侵害されたとまでは認め難いので、本件各書籍が既に不特定多数の読者によって購読されたことを考慮してもなお、その必要はないというべきである。

4  差止請求の可否

控訴人は、被控訴人らに対し、本件書籍2に掲載されている本件写真①の複製及びそれに関連する記述の削除を請求するところ、右書籍中への本件写真①の複製の掲載が控訴人の著作権を侵害するものであることは前記のとおりである。

しかしながら、右書籍中の控訴人指摘の削除箇所のうち、写真以外の文章の部分については、それ自体控訴人の写真著作権を侵害するものではないし(本件論文の著作権を侵害するものでもないことは後記のとおり)、本件写真①と不可分一体としてこれと切り離して無意味となるようなものとは認められない(他の類似の写真をもって代替することで、その意味内容を保持することは可能である)以上、右部分に関する差止請求はそもそも理由がないというべきである。

また、丙第二号証及び弁論の全趣旨によれば、本件書籍2は平成元年に刊行された後絶版となっていて、株式会社八幡書店において増刷の予定もないし、また、右会社の代表取締役である被控訴人武田においても本件写真①を掲載したままで増刷する意思はないことが認められる。そうすると、本件書籍2による控訴人の本件写真①に対する著作権侵害行為は既に終了し、更に侵害されるおそれもないというべきであるから、被控訴人らに対する本件書籍2の削除部分中写真の削除を求める差止請求も理由がないものといわざるを得ない。

なお、控訴人の右請求は、既に発行された書籍中の削除箇所指摘部分の削除を求めるものとも解する余地があるが、不特定多数の読者の手に渡り被控訴人らの支配の及ばない書籍につき当該部分を削除することは不可能を強いるものというほかないから、失当というべきである。

三  本件論文について

1  本件論文の著作権

甲第三号証の一、二及び原審における控訴人本人尋問の結果によれば、控訴人が本件論文を発表したことが認められ、また本件論文はその内容に照らして著作物に当ることが明らかであるから、控訴人がその著作権を有すると認められる。

2  著作権侵害の有無

(一)  控訴人は、「東日流外三郡誌」は、被控訴人和田による偽作であり、その中において控訴人による本件論文を剽窃、盗用し、複製権又は翻案権を侵害した旨主張する。

甲第一号証、第二二号証の一ないし五、第二三号証、第二四号証の一ないし四、第二五号証の一ないし三、第八七号証、第一〇九号証、乙第一七号証によれば、以下の事実が認められる。

「東日流外三郡誌」は、被控訴人らの説明によれば、「東日流内三郡誌」「東日流六郡誌」などとともに、前九年の役に敗れた安倍氏の末裔の安東一族の歴史と伝承とを中心的内容とする全三六八巻に及ぶ長大な史書であるとのことであり、江戸時代末期に安東家の後裔の秋田孝季とその縁者の和田長三郎が日本全国を回り、安倍氏、安東氏にかかる様々な伝承を収集記録して編纂され、その原本は秋田家に伝えられ、写本が和田長三郎家に残されていたが、秋田家の原本は消失し、現在は和田家にのみその写本が残されているとされている。これらは和田家において門外不出、他見無用とされて秘蔵されてきたが、戦後被控訴人和田により発見されたといわれ、これが昭和五〇年から五二年までに青森県北津軽郡市浦村から「市浦村史資料編」として三巻に分けて刊行され、また昭和五八年から六一年にかけ弘前市の有限会社北方新社から全七巻が、平成元年には株式会社八幡書店から全六巻が刊行された。

これに対して「東日流外三郡誌」等は被控訴人和田による偽書であると主張する者があり、右偽書説の根拠としては、①和田家において昭和二三年頃に天井裏から写本が発見されたという経緯が極めて不審であり、②記述の内容に明治時代以降用いられるようになったと思われる表現、用語が随所に見られ、③写本は被控訴人和田の曾祖父の筆写によるとされているのにその筆跡が被控訴人和田のそれと酷似していることなどを始めとするさまざまな疑問点が指摘されている。

ところで、控訴人の主張する本件論文の著作権侵害は、「東日流外三郡誌」が被控訴人和田の執筆にかかることを前提とするものであるところ、同被控訴人が本件写真を前記のように用いていることのほか、右偽書説の根拠として主張されている点と、これに対する被控訴人和田の対応、反論とを対照して、本件各証拠上の裏付の有無を検討すると、右偽書説にはそれなりの根拠のあることが窺われるものの、このような一面で学問的な背景をもって見解の対立する論点に関して、訴訟手続において提出された限られた資料から裁判所が判断するのは、それが争訟の裁判を判断する上で必要な場合には当然行うべき筋合いではあるが、結論を導くのに不可欠とはいえない場合には、これを差し控えるのが相当であると考えられる。そこで、とりあえず右の判断はひとまず留保した上、「東日流外三郡誌」等にある記述中控訴人の指摘箇所が控訴人の有する本件論文の著作権を侵害するような、著作物としての同一性を有するものであるか否かをまず検討することとする。

(二)  控訴人が原判決別紙(九)の1ないし7において控訴人の指摘する個々の各記述の類似性について検討する。

(1) 東日流耶馬台城跡(原判決別紙(九)の1)

控訴人主張の記述は、甲第九号証の二によれば、青森県にあったとされる東日流耶馬台城の情景であることが認められ、熊野地方等の本件石垣に関する本件論文の内容とは異なるものである。

もっとも、右記述のうち、控訴人が指摘する石垣に関する記述については、山中の石垣という点において確かに本件論文の記述に類似しているといえるが、「東日流外三郡誌」の記述は城跡に存する石垣であるのに対して、本件論文のそれは構築された理由や過程の不明な謎の石垣であるというのであるから、前記の記述が本件論文にヒントを得たという余地はあるにしても、これを翻案したものであるとまで直ちに認めることはできない。

また、神武東征伝承に関わる類似点についても、右伝承は日本書紀の記述にあるもので、本件論文における控訴人の創作にかかるものではないから、これが控訴人の著作権を侵害するようなものであると解することはできない。

その余の情景描写の類似を指摘する点についても、これらの多くは山中の情景描写として特異なものとは認め難いものであって、その全体を総合しても本件論文を翻案したものと認めることはできないし、また、本件写真①との類似を指摘する点については、右写真は本件論文中に引用されているものではないので、失当である。

(2) 耶馬台城之大秘道しるベ(原判決別紙(九)の2)

控訴人主張の記述は、甲第九号証の二によれば、耶馬台城を飯積山庄屋から石垣の城跡を聞いて探し当てた経緯に関するものであることが認められ、右記述が控訴人の指摘する本件論文中の控訴人が本件石垣の存在を聞き及んだ経緯の記述との部分的な類似性は否定できないにしても、土地の伝承を聞いたことから遺物を発見するに至るとの筋立てや、山中で日が暮れるといった描写自体はありふれたものであるし、また、本件写真①との類似の指摘は前述の理由で失当であり、その他指摘の部分が本件論文の翻案であると認めることはできない。

(3) 耶馬台城跡図(原判決別紙(九)の3)

この点に関し、控訴人は本件写真⑥との類似を指摘するに止まるが、右写真は本件論文中に引用されているものではないから、失当である。

(4) 耶馬台城址之伝(原判決別紙(九)の4)

控訴人は、東日流耶馬台城の石垣の現実性を高めるために「東日流及び紀州のみに実在なして」との記述に及んだなどと指摘するが、熊野地方の山中に石垣が存在するとの事実自体は控訴人の思想、感情の表現とはいえない(現に被控訴人武田においてもこれを紹介する記事を雑誌に掲載している)、のであるから、控訴人の著作権を侵害するようなものには該当しない。

(5) 耶馬台国之崇神(原判決別紙(九)の5)

控訴人主張の記述は、甲第一〇号証の二によれば、耶馬台国の宗教に関するものと認められるところ、その指摘するところは、耶馬台国で石垣を築いて神に奉納した旨の記述及び石垣の挿絵に「紀州」と付記されているのが本件論文の紀伊半島にある石垣の記述に依拠したというものである。しかし、紀伊半島に石垣の存在すること自体は本件論文において報告されている事実にすぎないし、また、本件論文の触れる神域説も、控訴人の本件石垣に関する推理の一つとして想定し得る結論のみを抽象的に述べたに止まり、他方、「東日流外三郡誌」の前記記述は信仰と石垣との関連を多少なりとも具体的に述べたものであることなどからすると、右記述は本件論文にヒントを得たと見る余地はあるにしても、これが翻案であり、著作権を侵害するようなものであるとまでいうことはできない。

(6) 東日流往古之謎史跡尋抄(原判決別紙(九)の6)

控訴人主張の記述は、甲第一一号証の二によれば、東日流中山に耶馬台城跡を発見した経緯に関するものであると認められるが、控訴人指摘のうち山中の情景描写は何ら特長のあるものでないし、飛鳥山についても本件論文にある飛鳥神社に名を借りたと解するのは根拠が十分ではなく、仮にそうであるとしても、それは控訴人の思想、感情の表現とは無関係の事柄である神社の名称にヒントを得たに止まるというべきであるし、また、本件写真②に依拠したと主張する点は、右写真は本件論文中に引用されているものでもないから失当であり、さらに、遺物の出土に関する点は遺跡の発見に関する記述である以上当然予想されるものであるから、これが本件論文に依拠したと推認することは困難である。

(7) 総輯東日流六郡誌・紀州熊野宮之由来(原判決別紙(九)の7)

控訴人主張の記述は、甲第一二号証の一によれば、熊野宮の由来につき、耶馬台国の水社であって、初代国王が神域に石垣等を築いたとされており、その石垣の挿絵に「熊野山中十五里の石垣」と付記されているものであると認められるが、控訴人の指摘する本件論文にある本件石垣に関する神域説と右記述の類似は否定できないにしても、右は前記のとおり控訴人の本件石垣に関する推理の一つとして想定し得る結論のみを抽象的に述べたに止まるのであるから、これが熊野宮に関する前記記述のヒントとなっていることは考えられるとしても、未だ翻案として著作権を侵害するようなものとまではいえない。また、挿絵に付された「熊野山中十五里の石垣」との記述については、本件論文の六〇キロメートルに及ぶ石垣という記述と、石垣の長さの点において、一里を3.9273キロメートルとして換算すると約58.9キロメートルとなり極めて近似するものということができるが、熊野山中の長大な石垣の長さを江戸時代に書かれたとされる文献において表現するとすれば、自ずと限られた範囲内での一定の数値を採用するほかないのであるから、その中で一五里という数値が採られたからといって、これが控訴人の本件論文の記述に依拠しているものと直ちに推認することは困難である。

(三) 以上検討したとおり、控訴人主張の「東日流外三郡誌」等の個々の記述から見て、それが本件論文と著作物としての同一性を有すると判断することは困難であるが、さらに「東日流外三郡誌」全体と本件論文とを対比して検討するとしても、前者は長大な史書の体裁をなすものであるのに対して、後者は本件石垣の調査結果の報告論文である点で全く異なる上、前者が古代日本に存したとされる耶馬台国及び耶馬台城の石垣に関するいわば伝説的な記述であるのに対し、後者は熊野地方に存する石垣の客観的な性状を探求してそれが構築されるに至った理由、過程を学問的に探求しようとするものである点においても全く異なるのであるから、全体的な対比においても、著作物としての同一性を肯認することは到底困難であり、結局、前者には後者の記述にヒントを得たと見られる部分があるという程度に止まるというべきである。

(四) したがって、「東日流外三郡誌」等の記述が本件論文の複製であることはもちろん、翻案であると認めることもできないのであるから、控訴人の有する著作権を侵害することを前提とした本件論文に関する請求は、「東日流外三郡誌」等の著作者が誰であるかの判断に立ち入るまでもなく、理由がないことは明らかである。

四  結論

以上によれば、控訴人の本訴請求は、被控訴人和田に対して本件写真の著作財産権侵害につき一〇万円、著作者人格権侵害につき三〇万円、合計四〇万円の損害賠償及びこれに対する不法行為の後である平成四年一一月七日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があり、被控訴人和田に対するその余の請求及び被控訴人武田に対する請求は理由がないからこれを棄却すべきであるので、原判決中これと異なる部分を取消して、被控訴人和田に対し原判決認容額の外二〇万円及びこれに対する右割合による同起算日からの遅延損害金の支払いを命じ、被控訴人和田に対するその余の控訴及び被控訴人武田に対する控訴を棄却した上、当審における新たな請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、九五条、八九条、九二条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 及川憲夫 裁判官 佐村浩之 裁判長裁判官 小林啓二は転補のため署名押印することができない。裁判官 及川憲夫)

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